ある日の公園エピソード
公園でこんなことがありました。
顔見知りの女の子とバッタリ会い、息子と女の子が一緒に遊び始めました。
私とそのママは、たまに会えば挨拶するくらいの仲。
女の子が遊具で遊んでいると、その前に息子が割り込んで、女の子の指を踏みました。
女の子が痛がって踏んだことに気づき、慌てて謝る息子。
そしたら女の子のママが、女の子の指を見て
「こんなの全然大丈夫!痛くないよね?ね?」って女の子に言いました。
女の子はしばらく痛そうにしていました。
でもお母さんは「本当に大袈裟なんだから」と言ってこちらに謝ってきました。
悪いのは割り込んだうちの息子。
でもお母さんは痛そうにしている女の子を責めている。
凄くこちらに気を使っているんだな、自分の子供が人に迷惑をかけることが怖いのかな、と感じました。
でも本当に他人に迷惑をかけないように、必死になるのが育児でしょうか?
私も初めは必死でした。
子連れのママに対する批判などを目にするたび、迷惑を掛けないようにと必要以上に恐れ、子供に口うるさくなっていました。
でもそれって違うな。って今は思います。
子供の表現を否定したり、子供の行動を予め厳しく抑制したり。
それは子供の成長を考えるとどうなんでしょう?
今回は子供が他人に迷惑をかけることについて、『知る』回です。
他人より子供を優先したい気持ちが強くなって、育児のストレスが激減します。
子供の自立心が育つよう、導けるようになります。
こんな人に読んで欲しい
- 子供が他人に迷惑をかけるのが怖い人
- 子供より他人の気持ちを優先することがある人
- 子供が迷惑行為をするのは親の責任だと思っている人
- 子供の自立心を伸ばしたい人
Contents
他人と我が子、優先させるべきはどっち?
他人を優先させてしまう気持ち
私には、我が子より他人を優先させてしまう気持ちがありました。
なぜか考えてみると小さい頃の親の躾なども関係してると思いますが
『他人に迷惑をかけてはいけない』
と思う気持ちが強く根付いています。
そして自分と我が子に境界線がなく、私と息子は一心同体のように考えていたのかもしれません。
『息子が他人に迷惑をかける=私が他人に迷惑をかける』
このような考え方をしていたように思います。
子供が他人に迷惑をかける事を必要以上に恐れている
私はなぜ、育児をする上で他人の目を恐れるようになったのか振り返ってみました。
それはTwitterやテレビの情報でした。
他人は子連れに優しくないという話を目にするたび、私は他人の目に怯えていきました。
電車のベビーカーの使い方、子供の泣き声、子連れのマナー、常に常に他人の目を意識し、緊張していました。
でも実際、どのくらいの人が、子連れに対して厳しいんですかね。
子供がどのくらいのことをすると、アウトなんでしょうか。
許されない範囲も実の所、人それぞれ。
決まりはないんです。
じゃあ、私はどこに合わせたら良いんでしょう?
電車で子供が普通のトーンでお喋りするのも許せないという人に合わせて、声を発しないようにするのが正しいんでしょうか?
はっきりとは分からないまま、不安だけが大きくなり、ただただ子供の行動を厳しく抑制する日々でした。
このままで良いのかという疑問
他人がいる所では、他人を優先してしまい、息子を伸び伸び育てられていない。
そんな行動に疑問を持ち始めました。
ある日、息子との会話の中で出た質問。
電車が走っている時に立ち上がってはいけないよね。どうしてかわかる?
「ママが言ったから」
それを子供に言われた時に、頭を殴られたような衝撃が走り、私は考え方を方向転換すると決意しました。
そうなんです。
子供にとってはママがそう言ったからそうしているだけのこと。
危ないからと理由を話しても、小さい子供にとっては『ママが言ったから』が全てなんだと。
私は子供が自分で考え、自分で行動を決めれるようになって欲しい。
危ないからと言う理由すらも伝わっていないのだから、他人に迷惑だなんて絶対伝わらない。
予め私があれをするな、これをするなと言うのは、私の言う事を聞くだけの人を作っているだけなんですよね。
子供の自立心を伸ばすために、親はどう導けば良いのか
他人に迷惑をかけてはいけないと、子供の行動を規制すると、子供の自立心は育たない。
じゃあ、親はどのように導けば、子供の自立心は伸びるのでしょう。
- 体験を通して考える
- 考えを基に行動する
この2つが、自立心を伸ばすために必要なことです。
体験を通して考えてもらう
例えば電車の中でお話をした時に、誰かが迷惑そうな顔をした。
そこで初めて、迷惑になることがあるんだと知る。
そして自分のしたことはどうだったかな?と考える。
声の大きさ、話した内容はどうだったかな?と考える。
子供は特に、自分の事でまだまだ必死。
他人の気持ち、ましてや他人の迷惑など考えにも及ばないのが当然です。
だからこそ体験をして、自ら感じ、考えてもらうよう導くことが大切です。
考えを基に行動する
体験から自分で考えることが出来ると、それを基に行動していけるようになります。
電車でお話をした時に誰かが迷惑そうな顔をした。
それに気づいて考えた。
やっぱり声が少し大きかったかもしれない。
じゃあ、次はもう少し小さな声でお話ししよう。
そのように自分で考え、行動していく力は、体験から生まれます。
これが自立心です。
自立心を伸ばすため、体験の機会を奪わない
子供は体験を通じて、自立心を伸ばしていくことが出来ます。
なので他人に迷惑をかける事を恐れて、予め『電車の中では静かにしてね』などと行動を規制するのは体験の機会を奪うことに繋がります。
勿論、電車の中で大きな声を出すことは迷惑だよねという前情報は入れても問題ありません。
幼稚園でもしまじろうでも教えてくれます。
むしろ前情報があった方が、実際体験した時に、迷惑をかけてしまったという認識がしやすくなり、考えるきっかけを作りやすいです。
問題なのは、親が行動を予め規制することです。
大きな怪我に繋がる危険な行為でない限りは、見守ることが大事です。
他人に迷惑をかける事で、人は成長していけるので大丈夫。
そしてなんだかんだお互い様に出来ているのです。
迷惑をかけてしまう恐れを手放していけると、育児のストレスもぐんと減りますよ。
自分なりの工夫をしながら、体験を見守り、考えることに導く
見守ると言っても、やはり限界はあると思います。
例えば電車で大きな声を出されたら、それを見守るメンタルって相当なもの。
だからよく大きな声を出す子だったら、親が小声で返事をする事で子供に違和感を感じてもらうとか。
知らない子供のおもちゃを奪ったら、その子の親に少しだけ見守らせてもらっても良いですか?と尋ねたり。
子供同士の喧嘩は手が出るまでは止めないと決めるとか。
今の自分の限界より、まずは一歩先に踏み込んで見守るようにする。
そして体験させた後は、他人に迷惑をかけてしまったことを怒らない。
怒ると子供にとっては体験したことより、怒られたことが大きくなってしまって、体験を基に考えることが出来なくなるから。
そして子供の気持ちに寄り添いながら、体験について感じたことを尋ねて、振り返る時間を作ってあげる。
それを繰り返す事で、体験について考える習慣が身についていきます。
まとめ・優先すべきは我が子
『あれはだめ』『これはしないで』などと子供の行動を抑制する、他人に迷惑をかけないための育児は、子供にとって良いことはひとつもありません。
子供は体験を通して考える力を身につけていきます。
自立心のある子供に育てるためには
- 行動を予め規制せず
- 何かあっても見守り
- 体験の後は叱らず気持ちに寄り添い
- その体験を通して『どう感じたか』
- 『次はどのようにしたいか』を聞いてあげる
これを繰り返していくことが大切です。
子供が他人に迷惑をかけると困るのは、子供ではなく自分。
子供は迷惑をかけて困るなんてことは、ひとつも考えてないでしょう。
迷惑をかけている子供を放置している無責任な親に見られる。
そんな風に思ったり。
だけどそんな事はないです。
小さい頃に、しっかり体験して考える力も身につけたら、きっとかけた迷惑以上に、貢献出来る人になると思うから。
コロナが流行って、世界の常識が大きく変わりました。
これからも時代の進化はAI技術とともに加速し、常識はどんどん変わっていくと思います。
そんな時代の転換期にいるからこそ、今の子供達は自分で考える力が必要だと思います。
親が言っていたからと古い考えに縛られていたら、新しい時代の流れについていけない。
だから他人に迷惑をかけるのが怖くても、未来の子供のために、見守る姿勢を貫く強さを取り入れることが大切だと思います。

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